2008年5月26日月曜日

アートとわたしの出会い パート2



広告会社を辞めてアートの世界に行こうと決心し、もう、何にもわけわからないからやたらめったらwebや雑誌等書籍から情報集めに専念していると、何故か私の想いは上海に行きあたる事に気付きました。

ある日、通勤途中の電車の中、ARTiTの上海アート特集を読みふけっていると、ある記事に出会いました。それは、未だ政府の目が厳しい中国で、どこにも属さない事に誇りを持つ上海のインディペンデントキュレーターの生きざまを描く物語でした。その記事の文章も引き込まれた要因だな、と後々になって思うわけですが(というのも、その人は後に「ラブストーリー大賞で大賞を取ったばかりの注目の作家さんだったんですよ。)、とにかく、彼のアートに対するひた向きな姿勢と、共産党にも負けない闘志と、やり続ける事のできる粘り強さに圧倒され、なまぬるい日本では到底到達できない達成感を、激動の中国でこの人はいくつものハードルを乗り越えて達成しているかと思うと、感動せずにはいられませんでした。通勤途中の電車の中、思わず涙がでてきました。

その人の名前は顾振请 Gu Zhenqing

私はARTiT編集部にその人の連絡先を聞き、もらったアドレスに急いでメールを書き、返事を待たずに上海に飛び立ってしまいました。当然、会えなかったわけですが、帰国してみると、ある人からメールがありました。それは、そのARTiTの記事を書いたライターの方からでした。私がARTiTに書いたメールに感動してくれた編集部の人が、ライターに転送して、そして、私はそのライターからのメールでGu氏の出会いを約束されました。そのライター自身、日本でインディペンデントキュレーターとして活躍し、小説家でもある原田マハさんでした。

それから私は原田さんに、キュレーターとして色々教えて欲しいと直談判をし、その後すぐに上海での仕事が決まったのです。でも、その時もタイミングが合わずGu氏と会えず、それから1年半たった半ばあきらめていた頃、出会いは突然訪れました。

原田さんがディレクターを勤めるCET (Central East Tokyo) のオープニングにて、それこそ原田さんとも久しぶりに会えた日、まだオープンする前の全体的にピンク色の、一度は誰かが履いた肌色のパンストが無数に天井から飾ってあるおかま喫茶で、お互いの報告をし合っていると原田さんは突然叫びました。
「ちょっと、この人、Gu Zhenqingじゃない??」

私は何か電光石火が降りてきたみたいに金縛りに会い、恐る恐るその人を見ると1年半ずっと思い続けていた人が目の前にいて、しかも、私の存在を知っているような身振りをするんです。いい歳して恥ずかしいんですが、突然の出会いに心の準備が全くできてなくて、びっくりしてまともに正視できず、原田さんの後ろに隠れてろくに目も合わせられず、当然ろくに挨拶もできず、ただただ原田さんに抱きつきながら泣いてました。そして、Gu氏は私に近づき、涙が止まらない私に挨拶のハグをしながら、英語でこう言ったんです。

「ずっと君のこと、知ってるよ。多分ずっと前から。今の人生の前にも会っているんだろうね」

その2日後の東京国立近代美術館で行われた「中国現代美術の現代と未来」というシンポジウムでのスピーチに招待してくださり、私が感動した彼の生きざまと中国での試練を彼の口からやっと聞くことができたのです。

帰り、彼はスピーチを終え、満面な笑顔で私を出迎え、そして、すぐに上海に来てくれ、と言ってくれました。

駅までの道、彼と別れる事がつらくて何度も振り返り、一度しか会ったことないのにもう懐かしくなっている事が不思議でもあり、当然でもあるような気がするし。

人として、こんなに心豊になれる心情を共有できる人に出会えた事が、とてもすばらしいことだな、と思ったわけであります。

大分趣旨と反れましたが、私がアートの道を新たに決心したことは、言うまでもありません。


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